20年ぶりの続編として大きな話題を呼んでいる映画『プラダを着た悪魔2』。劇場に足を運ぶと、客層が圧倒的に女性に偏っていることに驚いた方も多いのではないでしょうか。
前作からのファンが詰めかける華やかなファッションの世界、そして時代の波に立ち向かう泥臭いビジネスドラマは見応え十分ですが、1人の「男性視点」あるいは「現実的な人間関係の視点」で観たとき、どうしても強烈な違和感を抱くポイントがあります。
それは、主人公のデート相手(パートナー)の男性が、あまりにも「都合のいいYESマン」すぎるという点です。
「君ならできるよ」「分かるよ、それは大変だね」と、ひたすら主人公のあいまいに寄り添う言葉をくり返す彼氏。その一方で、主人公側から男性に対して褒めたり、彼の仕事の話を親身に聞いたりするような「双方向のギブ」はほとんど描かれません。
現実の人間関係やビジネスであれば、一方的なテイク(搾取)だけの関係は確実にすり減り、本命のパートナーになる前に破綻します。ではなぜ、ハリウッドの超大作映画でこのような「いびつな関係性」があえて描かれるのでしょうか?
そこには、映画を大ヒットさせるための冷徹なマーケティング戦略と、ターゲット層の心理的ニーズが隠されていました。
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目次
理由1:観客の「共感のノイズ」を徹底的に排除するため
『プラダを着た悪魔』シリーズの最大の目的は、日々仕事やプライベート、人間関係で擦り切れている女性観客を、主人公に100%同化させてカタルシス(精神の浄化)を感じさせることです。
ターゲット層である女性たちは、現実世界で常に周りの空気を読み、他人のケア(感情労働)をし続けています。劇中の強烈な上司・ミランダの機嫌を取るだけでも、主人公(=観客)の精神的コストは限界に達しているのです。
そんな彼女たちが映画を観にきているときくらいは、「自分のケアを一切しなくていい、ただ自分を全肯定してくれるシェルター」を求めています。
もしここで、デート相手の男性が「実は俺も仕事で悩んでいて…」と愚痴をこぼし、主人公が「いつも話聞いてくれてありがとう、大変だね」と男の顔色を伺うリアルな描写を入れてしまうと、観客はこう感じてしまいます。
「映画を観ている時くらい、男のケア(感情労働)をさせないでほしい」
映画の制作陣は、観客の脳内麻薬(全肯定されたいほっこり感)を最大化するために、あえて男性を「感情の自動販売機(YESマン)」にデフォルメし、リアルな関係性のノイズを徹底的に排除しているのです。
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理由2:「ビジネスの戦い」に上映時間を全振りしたい
映画の約2時間という限られた尺(上映時間)において、メインディッシュはあくまで「強大なミランダ、あるいはデジタル化という時代の荒波と、主人公がどう対峙し、ビジネスパーソンとしてどう生きるか」というドラマです。
もし人間関係のリアルさを追求して、
- デート相手の男にも彼の人生の悩みがある
- お互いの不満をぶつけ合い、対等に支え合うプロセスを描く
なんて丁寧にやっていると、それだけで20〜30分を消費してしまい、本題であるビジネスの攻防や、ファッション誌をめぐる本筋のテンポが最悪になってしまいます。
つまり、恋愛要素は「主人公の現在の精神状態(仕事に偏りすぎていないか、満たされているか)」を測るための、単なる舞台装置(バロメーター)として割り切って使われているため、男側の内面や双方向の努力はバッサリ削られているのです。
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理由3:そもそも「本命のパートナー」として設計されていない
「話を聞くことも、褒めることもしない女性は、男にとって本命にはならない」というのは、現実の恋愛市場では100%正しい真理です。
しかし、脚本家もそれを百も承知で書いています。なぜなら、この手のキャリア映画において、こういった「都合よく話を聞いてくれる優しい男」は、主人公がさらに上のステージへ自立して羽ばたくための「踏み台(通過点)」として配置されることがデフォルトだからです。
前作の元カレ(ネイト)との関係がそうであったように、主人公のステージが変わるにつれて、ただ優しいだけの関係には歪みが生まれ、最終的には一度離れる選択をとることが多いのもこのためです。
「本命として長く関係を築くためのリアルな努力」を描くのが目的ではなく、「今の主人公の段階には、このレベルの癒やしが必要」というパーツとしての配置だからこそ、あのようなYESマンが誕生します。
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まとめ:エンタメの「歪み」の裏にあるヒットの法則
男性視点、あるいは現実的な視点で見ると「あり得ないくらい都合が良くて薄っぺらい関係」に見える描写。しかしそれは、女性の観客を徹底的にもてなし、物語の本筋である『仕事の戦い』に集中させるための、極めて計算されたハリウッドの脚本術の結果でした。
現実のビジネスや人間関係のセオリー(ギブ&テイク)をそのまま持ち込むと「バグ」に見える部分こそが、実はエンタメとして大ヒットさせるための「正解」であるというギャップは、マーケティング視点で見ると非常に興味深いサンプルです。
次に映画を観るときは、ストーリーだけでなく、「なぜこのキャラクターはこんな極端な行動をするのか?」「誰のどんな欲望を満たすために配置されているのか?」という裏の設計図を覗き見してみると、映画の楽しさがもう一段階深まるかもしれません。